お盆報告その2
京都報告です。
大文字送り火は、今京都で予約の取れない食堂おがわで。 狭いお店にわが家一家をはじめ17名が押し寄せた。高岡出身の染織家冨田潤さん御夫婦とも久しぶりの再会。彼も美味しい物大好き、安子さんの手料理を食べたことがある。
彼は、今は無きスチーブジョブスに作品をお買い上げ頂いたり、俵屋旅館の女将の佐藤トシさんのお気に入りで、旅館経営の天ぷら屋さん「天邑」に大作がかけ
られている。私の事務所の三Fにも彼のタペストリーが。
おがわは、41歳の気鋭の料理人のお店。
極上料理に極上お酒。シンプルに素材の美味しさを提供。白ずいきのごまよせ、うどの生姜のせ、ハモ、鰹の炙り、鶏手羽、牛タンとクレソン、ふわふわ出汁巻
き卵、しめは漬け物にじゃこご飯。
お酒は、マスターと酒通との一騎打ち。伏見の「蒼空」に始まり、和歌山「黒牛」山形の「東北泉」岐阜の「小右衛門」奈良の「春鹿」滋賀の「喜楽長」のそ
れぞれ個性の違う5種類を堪能したところで、ぺこさんからそろそろいい加減にしておかれという声が聞こえた。
そこで送り火に席がえ。鴨川沿いのビルの6Fの屋上から、四山見えた。
何年か前に安子や家族と船岡山で大変な人だかりの中、送り火を見物したことがあった。人生送り火のようにいつかは消えると今年は殊の他しみじみと感じいる。生きている内に美味しいもん食べて飲んでなんぼです。
劔岳でサンパイして一気に3000mの縦移動と300キロの横移動。京都で日本の伝統文化の大文字送り火で新盆の安子を供養できた。
食堂おがわの素材をシンプルに出すというのは、修善寺の能舞台のある旅館あさばが、だいぶん前から、この路線。
あさばスタッフが、よく勉強に訪れたのが、元麻布の酒飯「庖正」、美味しんぼ「岡星」のモデルといわれている。
とぺこが、結構若い頃から上京の都度通った。ぺこさんカウンター席でマスターの仕事ぶりを随分学んだ。安子さんの味にも多大な影響を与えたと思う。従って安子さんの味は、おふくろの味+由緒正しい日本料理の伝統を踏まえている。庖正のルーツは、辻留。マスターの原さん体調崩して惜しくも閉店。
昔、とと安子が訪れたある日、隣の席にかっこいいヨウジヤマモトが素敵な外人女性といるじゃないか。名刺を渡そうか、いやそんなかっこ悪い事止めとこうと、お尻のポケットをまさぐっていたら、財布をぽろりとおとした。それをマスターがわざわざバイクで、ホテルオークラまでとどけてくれたことがあった。翌日早速地下街で、チャリ皮のバックその他で散在。
京都報告です。
大文字送り火は、今京都で予約の取れない食堂おがわで。 狭いお店に鍛治一家
をはじめ17名が押し寄せた。高岡出身の染織家冨田潤さん御夫婦とも久しぶり
の再会。彼も美味しい物大好き、安子さんの手料理を食べたことがある。
彼は、今は無きスチーブジョブスに作品をお買い上げ頂いたり、俵屋旅館の女将
の佐藤トシさんのお気に入りで、旅館経営の天ぷら屋さん「天邑」に大作がかけ
られている。私の事務所の三Fにも彼のタペストリーが。
http://juntomita.com/
「食堂おがわ」は、41歳の気鋭の料理人のお店。
極上料理に極上お酒。シンプルに素材の美味しさを提供。白ずいきのごまよせ、
うどの生姜のせ、ハモ、鰹の炙り、鶏手羽、牛タンとクレソン、ふわふわ出汁巻
き卵、しめは漬け物にじゃこご飯。
お酒は、マスターと酒通富の一騎打ち。伏見の「蒼空」に始まり、和歌山「黒
牛」山形の「東北泉」岐阜の「小右衛門」奈良の「春鹿」滋賀の「喜楽長」のそ
れぞれ個性の違う5種類を堪能したところで、安子からそろそろいい加減にして
おかれという声が聞こえた。
そこで送り火に席がえ。鴨川沿いのビルの6Fの屋上から、四山見えた。
何年か前に安子や家族と船岡山で大変な人だかりの中、送り火を見物したことが
あった。人生送り火のようにいつかは消えると今年は殊の他しみじみと感じいる。
生きている内に美味しいもん食べて飲んでなんぼです。
劔岳でサンパイして一気に3000mの縦移動と300キロの横移動。京都で日本の伝統
文化の大文字送り火で新盆の安子を供養できた。
食堂おがわの素材をシンプルに出すというのは、修善寺の能舞台のある旅館あさばが、だいぶん前から、この路線。
あさばスタッフが、よく勉強に訪れたのが、元麻布の酒飯「庖正」、美味しんぼ「岡星」のモデルといわれている。
とぺこが、結構若い頃から上京の都度通った。ぺこもカウンター席でマスターの仕事ぶりを随分学んだ。安子さんの味にも多大な影響を与えたと思う。従って安子さんの味は、おふくろの味+由緒正しい日本料理の伝統を踏まえている。庖正のルーツは、辻留。マスターの原さん体調崩して惜しくも閉店。
昔、ぺこさんと訪れたある日、隣の席にかっこいいヨウジヤマモトが。名刺を渡そうか、いやそんなかっこ悪い事止めとこうと、お尻のポケットをまさぐっていたら、財布をぽろりとおとした。それをマスターがわざわざバイクで、ホテルオークラ
までとどけてくれたことがあった。翌日早速地下街で、チャリ皮のバックその他で散在。
あさばの器は、内で使っている中尾万作や山中温泉の正木春藏さんとかだったの
で、とは、毎日あさばレベルの食事をしていたことになるかも。
とが元気でいれるのも、虚弱体質のぺこさんが難病を患いながら72近くまで生きられたのも、まともな食事のお陰と改めて感謝。
皆さん、変な添加物が入っていない食材を吟味して兎に角まともな食事を心がけて下さいね。